ギタープリンスの夫は、うつでギターも会社もやめました

ギタープリンスと呼ばれ、みんなから愛さた夫はうつ病、不安障害になり会社もギターもやめました。

第8話:仔牛と走るつかさくん──HSP夫と行く北海道3泊4日

「旅って、こんなに楽しいんだ!」
以前は旅行にほぼ興味がなかった夫・つかさくん。
2017年9月、私たちは北海道へ3泊4日の旅に出ました。
釧路、知床、網走──広大な自然を楽しむ旅。

私は牧場が大好きなので、弟子屈町にある牧場で
「仔牛とお散歩体験」を申込みました。
案内されたのは、生後3か月の仔牛「チャッキー」。
チャッキーは好奇心旺盛で、どんどん走る。
つかさくんはリードを持ったまま、必死に追いかける。
「待ってチャッキー!」
やさしいつかさくんは引っ張っることができないので、
仔牛に引きずられる姿は、
なんとも微笑ましくて、笑いが止まりませんでした。
つかさくんは今でも「チャッキー大きくなっただろうなあ」と
つぶやいています。
つかさくんの特徴として、何度も振り返る、ということがあります。
「今日のお寿司美味しかったなあ」とか何度も言います。
だから記憶力がいい!
私は一瞬を楽しんで、後からあまり振り返らないので
覚えていないことが多いです。(単なる加齢という説も…)

そういえば牛と言えば「ドナドナ」!
幼少期のつかさくんの「ドナドナ」 の思い出はこちら。

 

 

翌朝は、屈斜路湖の雲海を見るために、美幌峠展望台へ。
朝早起きして、寒さに震えながら待機。
残念ながら雲海は見られなかったけれど、
代わりに見た朝日がとても綺麗で
澄んだ空気を吸い込むと、身体の奥まで浄化されるような気がしました。

ふたりの旅は、まだ続きます。
翌日の知床では
つかさくんに船酔いの試練と、おそろしいクマへの不安が待っていたのです。

第7話:もしも・・・繊細夫の“備えあれば憂いすぎ”

夫のつかさくんは雨雲レーダーをスマホで常にチェックするような人です。

もともとHSP(Highly Sensitive Person)気質で、感受性が鋭く、
常に「もしも」に備えているつかさくん。
職業も金融関係で資金運用の部署にいたので、
気質と職業が見事に重なり、
彼のリスク回避力は日常にも染み渡っていました。

たとえば旅行の計画を立てるとき。
「雨が降ったら?」「体調を崩したら?」「持ち物を忘れたら?」
まだ起きていないトラブルのシミュレーションが、
ぐるぐる頭を流れるのです。
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一方の私はというと、思いついたらすぐ行動。
典型的な楽観主義者です。
未来の不安より、今この瞬間のワクワクを優先!

そんな私たちは、気が合うけれど、性格はまるで正反対。
私の楽観的なマインドがつかさくんの不安を少しだけ吹き飛ばす。
そんなバランスが、ちょうどよかったのです。

第6話:孫を見せられなかった父へ。親不孝な娘

不妊治療に数百万円を費やし、何度も涙を流した。
「次こそは」と信じていた日々。
諦めるという決断は、思っていた以上に重かった。
ギャンブルの引き際が難しいのと似ているかもしれません。

子どもを持つことを諦める。
その決断は、夢を手放すことだけではありませんでした。
両親に孫を見せられないという罪悪感、
がんを患う父に、喜びの報告ができないという悔しさ。
知り合いたちが孫の話をするたび、両親はどんな気持ちで聞いているのだろう。
私は、親不孝な娘だ。

失うもの

それでも、夫は何も責めませんでした。
「ふたりで生きていこう」と。
子どもはいなくても、私たちは穏やかに、仲良く暮らしていました。
そう、あの日までは——。

第5話:不妊治療の現実と引き寄せの法則

顕微鏡の中で、育っていなかった卵子を確認するたびに、
40代になった私は「もう子どもを授かることはできないのかも」と、
胸に鉛が詰まったような気持ちになった。
卵子採取の痛みもさることながら、
何よりもつらかったのは「期待しては裏切られる」その繰り返し。
他の人が10個以上採れたと聞こえる。
数個しか採れない自分を責め、
「もっと早く始めていれば」と、遅すぎた不妊治療を後悔した。

私は「引き寄せの法則」を信じていた。(今も信じていますが…)
「赤ちゃんをこの手に抱いている」
「小さな手が私の手を握る」
「ミルクの匂いがする柔らかい肌」
そんな未来を、毎日鮮明にイメージしていた。
現実のように感じられるほど、強く、信じていた。
でも、現実は違った。
希望は少しずつ削られていった。

引き寄せの法則なんて、ないじゃん…」
信じていたものが、音を立てて崩れていく感覚。
取り返しのつかない事態に私はしょっちゅう泣いていた。

第4話:不妊治療の苦悩

「こどもと家族で暮らす未来」――
それは、私がずっと信じて疑わなかった“当たり前”のかたちでした。
けれど、子どもを望む気持ちは確かにあったのに、
40歳を過ぎていた私は認識が甘すぎました。
出産の適齢期についての知識も、準備も、足りていなかった。
つかさ君はHSP(繊細さん)で、子育てへの不安を抱えながらも、
不妊治療への同意をしてくれました。

タイミング療法に1年で結果がでなかったため、
不妊治療で有名な病院へ転院し人工授精に移ってさらに数年。
数百万の費用をかけ、会社の有給をすべて使い切りながら、通院を続ける日々。
病院の待合室は、いつも焦燥感と不安の塊のような
重たい空気が流れていました。
誰もがうつむき加減で、笑顔なんて見当たらない。
受付では声を荒げる女性。
付き添いで来ていた旦那さんが苛立ちを抑えきれず、奥さんに文句を言って
帰っていく姿もありました。
奥さんひとりで泣いていた。本当に可哀想だった。

不妊治療専門病院の待合室

私は、この病院の雰囲気がすごく苦手でした。
第1子を連れてきている方を見かけると、
妬みや悲しみの感情が胸の奥から湧き上がってきてしまう。

長い治療期間。
つかさ君に不妊治療の協力をお願いするのも、
気持ちの温度差で、すれ違ったり、言葉が強くなってしまうこともありました。
お互いに余裕がなくて、不安が先に立ってしまう――

貯金は尽きていき、授かれる保証のない終わりの見えない治療に、
心も体も確実にすり減っていきました。

第3話:7年越しの恋と、父のガンが背中を押した結婚

関東に住む私たちは、ちょうど真ん中の東京で毎週デートを重ねていました。
つかさ君は、いつも穏やかでやさしい人。
気づけば5年が経ち、一度も喧嘩をしたことがありませんでした。

彼はもともと東京で働いていて、私も転職して東京へ。
「一緒に住んだ方が通勤も楽だし、生活費も抑えられるよね」
そんな現実的な理由から、私は同棲をプッシュしまくりました!(笑)

一緒に生活することに不安なつかさ君

 

つかさ君はもともとHSP(とても敏感な気質)で、
自分の繊細さにコンプレックスを抱えていました。
落ち込んだり弱っている姿を見せることに不安を感じていた彼ですが、
「とりあえずやってみよう!」という私の楽天的な言葉と、
実家に比較的近い場所での暮らしに安心があったからみたいです。

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そして結局、そんな心配は杞憂に終わります。
ふたりの生活はいつも穏やかで、楽しく過ぎていきました。
彼が一番好きな場所は、ふたりで過ごすリビングのソファ。
そこは、安心とぬくもりが詰まった、私たちだけの居場所でした。

そして私が40歳を過ぎた頃、人生の大きな転機が訪れます。
「子どもを望むなら、そろそろ決断のときかもしれない」
そう感じ始めた矢先、父に多発性骨髄腫という血液のがんが見つかりました。

父の病と、命の時間。
その現実が、私たちの背中を押しました。
長く育んできた関係、ようやく決断するときが来たのです。

父の闘病については、また改めて綴らせてください。
今回は、つかさ君との歩みをお話しします。

第2話:バンドと恋の始まり

前回のお話のつづき。
私たちはバンドを組むことになりました。
私はボーカル担当ですが、以前少しだけギターを習っていたことがあり、
次のライブでエレキギターに挑戦することになりました。
ギター知識ゼロなので、そのギターを――つかさ君に選んでもらうことにしました。

ギター選び初デート?

正直なところ、ギター選びはちょっとした口実でもありました(笑)
「ふたりで楽器屋さんに行く」って、ちょっとしたデートみたいで嬉しくて。
渋谷の楽器店では理想の一本が見つからず、
つかさ君は横浜まで付き合ってくれました。

電車の中での会話や、ギターを試奏する時間、店員さんとのやりとり――
そのひとつひとつが、まるで映画のワンシーンのようでした。
ギターを選ぶ時間が、少しずつ私たちの距離を縮めてくれたように感じます。
帰りにふたりで夕食を食べたとき、つかさ君も同じ気持ちだった
ことがわかって、胸がいっぱいになりました。

人生でいちばん幸せを感じた瞬間だったかもしれません。
あの夜の高揚感は、今でも胸の奥で鳴り続けています。
あの日選んだギターの音色のように――。