「こどもと家族で暮らす未来」――
それは、私がずっと信じて疑わなかった“当たり前”のかたちでした。
けれど、子どもを望む気持ちは確かにあったのに、
40歳を過ぎていた私は認識が甘すぎました。
出産の適齢期についての知識も、準備も、足りていなかった。
つかさ君はHSP(繊細さん)で、子育てへの不安を抱えながらも、
不妊治療への同意をしてくれました。
タイミング療法に1年で結果がでなかったため、
不妊治療で有名な病院へ転院し人工授精に移ってさらに数年。
数百万の費用をかけ、会社の有給をすべて使い切りながら、通院を続ける日々。
病院の待合室は、いつも焦燥感と不安の塊のような
重たい空気が流れていました。
誰もがうつむき加減で、笑顔なんて見当たらない。
受付では声を荒げる女性。
付き添いで来ていた旦那さんが苛立ちを抑えきれず、奥さんに文句を言って
帰っていく姿もありました。
奥さんひとりで泣いていた。本当に可哀想だった。

私は、この病院の雰囲気がすごく苦手でした。
第1子を連れてきている方を見かけると、
妬みや悲しみの感情が胸の奥から湧き上がってきてしまう。
長い治療期間。
つかさ君に不妊治療の協力をお願いするのも、
気持ちの温度差で、すれ違ったり、言葉が強くなってしまうこともありました。
お互いに余裕がなくて、不安が先に立ってしまう――
貯金は尽きていき、授かれる保証のない終わりの見えない治療に、
心も体も確実にすり減っていきました。